北京旅行・・・6つの世界遺産を巡る(2009/10月28日~11月1日)
![]() 夕方成田発、3時間で北京に着いた。オリンピック後なので 北京空港は大きくてりっぱだった。バスに乗るため 飛行場を一歩そとにでると、まるで深い霧がかかっているようにかすんで 近くさえぼやけてびっくりした。次の日もやはり霞がかかったようにぼんやりとしていて やはり空気が悪いのではないかと思ってしまう。 2日目の予定は 頣和園(いわえん)ーオリンピック公園(鳥の巣)ー明の十三陵ー万里の長城。
頣和園は 北京最大の皇家園林で清の乾隆帝が母親の長寿を願って作られ 増改築され 三山五園とよばれる広大な離宮となったが 1860年に英仏連合軍によって破壊された。その後1888年に西太后が再建したが また1900年に連合軍に破壊され 再び西太后が再建した。1年の3分の2をここで過ごした西太后のため 毎日銀1万両が紫禁城から運ばれたと言われている。総面積290万㎡で その3分の2が人工湖、昆明湖である。宮殿区、湖岸区、万寿山区からなり 宮殿区の徳和園は観劇のための建物で 3階建ての大戯楼、音響を考えられた建物で 京劇や音曲が楽しまれた。また万寿山地区には 頣和園のシンボルで八角3層の仏香閣もある。
明十三陵は 明代の16人の皇帝のうちの13人のお墓で 私たちは 定陵(万暦帝)の陵にいった。万暦帝はあまり政治には熱心ではなく 功績も少ない。墓標には功績が記されるのが通例だが ここの墓標には何も書かれていない。お墓は地下宮殿にあり この宮殿の扉は堅牢で開けるのに1年4ヶ月も要した。主だった地上建築は戦火で消失し 石造りの明楼のみが残されている。
次に 代表的な世界遺産「万里の長城」のうち八達嶺長城に行った。平坦で外敵の攻撃に弱い北京を守るため この長い要壁を長年掛けて作ったそうだ。男坂と女坂があり 私は勾配のゆるい女坂に行ったが それでも坂が急で これは若いうちでないとこれない所だと思った。息も絶え絶えに?堪能した。徴兵された兵士たちは 家族と離れ この長く険しい長城をどう守っていたのかと思うとその苦労が偲ばれた。ちょうど夕暮れ時で 山々に沈む太陽が物悲しい。夜にはライトアップされて 美しかった。
3日目の予定ー天安門広場ー故宮ー天檀公園 天安門広場・・・中国の象徴とも言える場所で 地方在住の中国人民にとって一度は訪れたい場所で中国全土から観光者が絶えない。東西300m南北880mという世界最大級の広場で100万人の大規模集会を開くことができ 政治運動の中心地である。またすぐそばに 故宮がある。明の時代に原型ができ 清に引き継がれ 皇帝の住居として、また政治のオフィスとして使われた。。故宮は二つに分けられ、「外朝」とよばれる行政の中心と 「内廷」と呼ばれる皇帝一家のプライベート部分である。総面積72万㎡で部屋数は9000室あると言われる。屋根瓦は黄金色で 皇帝専用の色であり他の者は使ってはいけない。また天檀公園は 皇帝が五穀豊穣を祈る祭祀を行う場所でこの祭祀を行うために 皇帝も身を律し、清めた後この祈願ができた。天檀を代表する祈念殿は大理石でできた3層の台座の上に立ち3層の瑠璃色屋根瓦をもつ高さ38mの木造建築である。瑠璃色の瓦は神のいる空の色である。建築物は皇帝を表す9と言う数字の倍数が多く使われている。
4日目 午前中は胡同(フートン)で三輪リキシャ観光、北京原人博物館、盧溝橋観光、夜はオプションで京劇を観た。 リキシャで什殺海周辺や古きよき北京の町並みを見物した。胡同は 今でも人々が昔と同じ生活を営んでいる。北京の伝統的建築である四合院づくりの住居が立ち並んでいる。門構えのある様式で中庭の周りを平屋建ての居住する建物が囲んでいる。門に置く石や門とん(屋根の下に出ている柱の数)でその家の格式がわかる。私たちは武さん宅におじゃまして 家の中を見せていただいた。築200年のレンガ造りで壁の厚さは5cm、部屋は9室、武さん夫婦と2組の息子夫婦と孫 7人家族で暮らしている。今はプロパンガスでストーブも石炭使用の禁止により電気に変わった。昼食後 北京原人出土地と博物館に行き 次に日中戦争勃発の盧溝橋に行った。
盧溝橋
帰りの飛行機は 雪のため北京空港で11時間も遅れ 飛行機の中で缶詰状態、ブログにも書いたが本当に疲れた。 ![]()
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