旧古河邸・小石川後楽園
旧古河邸 明治期には陸奥宗光の邸宅であったが 宗光の次男が古河財閥の養子になったため 古河家の所有となった。 大正六年 古河虎之助によって西洋館と庭園が作られ 現在の形になった。 土地の高低差を利用した洋風庭園はルネサンス風の洋館とそれを取り巻く花壇芝生からなっている。 洋館はイギリスの建築家ジョサイア・コンドル、日本風庭園は京都の庭師植治の作庭で自然趣味溢れている。
この庭園は 水戸徳川氏の初祖、水戸頼房によって造られ 二代光圀によって完成した江戸初期の大名庭である。。 光圀は造成にあたって明の遺臣朱舜水の意見を用いて、円月橋、西湖堤など中国の風物を取り入れている。 後楽園の名は「民衆に先立って天下のことを憂い、民衆が皆安楽な日を送るようになって後で楽しむ」という光圀の政治的信条によるものである。
昼食・・・タニタランチ
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