善 光 寺(2013年3月31日〜4月1日)

善光寺
善光寺は創建されて1400年、江戸時代にはお伊勢参りと共に一度はお参りしたいと言われる寺院だった。仏教が諸宗派に分かれる前からあり 宗派関係ない寺院として位置づけされている。また女人禁制の寺院の多かった旧来の寺院の中でも女性救済の稀な寺院でもあった。源平合戦頃、大火災にあったり戦国時代には武田・上杉両家の争いの舞台ともなりいろいろな歴史の舞台を経てきた。
「牛に引かれて善光寺参り」のいわれは牛が角に引っ掛けて走り去った白布を取り返そうと小諸から追いかけて善光寺に着いた老婆の話で 女性を仏縁に導く善光寺の功徳を伝えるもので牛が観世院菩薩の化身と知り、信仰心を厚くした老婆は極楽往生したと伝えられる。
御開帳  7年に1度、秘仏のご本尊「前立本尊」が本殿で公開される。先年の2009年、4月に公開された。
本殿床下の「戒壇巡り」は是非体験して欲しい。1mm先も見えない真暗闇を壁づたいに歩くと 自分の存在さえ実感できないような不思議な感覚にとらわれる。

仁王門
仁王は仏敵が寺院内に入るのを防ぐ守護神で寺院の門前に安置される。開口の阿形と口を結んだ吽形の2体を一対とする。一般には仁王(二王)の名で知られる。
参道
仁王門から山門に至る石畳は江戸の豪商大竹屋平兵衛が功徳を願って7777枚の石畳を寄贈した。
山門
重要文化財で 創建時と同じサワラ板の栩葺の屋根が存在感を放つ。内部には四国八十八箇所の各寺院の本尊代像が安置されている。
本殿
国宝に指定されている。木造では3番目に大きい。床下の真っ暗な通路を通り、本尊の阿弥陀如来が安置されている「瑠璃壇」という小部屋の真下にあるとされる「極楽浄土への錠前」に触れる「戒壇巡り」ができる。
 
経堂
仏教経典のすべてを網羅した一切経が収められている。
鐘楼
柱は南無阿弥陀仏の名号にちなみ6本で屋根は檜皮葺、時を知らせる鐘として親しまれ日本の音風景百選に選ばれている
大回向柱
御開帳時 本殿前に建立されこの柱に触れるとご本尊に触れたと同じご利益があるとされる。御開帳が終わればここに納められ徐々に土に帰っていく。
忠霊殿(善光寺資料館)
戦争で亡くなった240万余柱の英霊が祀られている。また善光寺の資料館ともなっていてダライラマ14世開眼の曼荼羅がある。

刈萱山 西光寺
刈萱上人によって1199年開山された。
上人の下に修業に来た石童丸を我が子と知りながらも 仏にささげた身であり 道心が鈍るのを恐れ名乗らなまま同じ仏門に励んだ。
この親子の情愛は今の世まで人々の心にはぐぐまれている
刈萱山 西光寺 刈萱上人と石童丸の墓 芭蕉の碑
夜噺(よばなし)
 〒380-0822 長野県長野市鶴賀南千歳876-1(B1F)   026(225)4874


東山魁夷館
善光寺から徒歩3分のところに 日本画家東山魁夷館がある。《緑響く》《白馬の森》《夕静寂》など33点の他、初期のヨーロッパの風景や中国風景から連作の北欧風景などシリーズ習作など東山魁夷の自然への感興と制作の全体像が明らかになる作品が展示されている。これらの絵と対面すると絵心のない私でも その気迫に圧倒されてしまうすばらしい絵画だった。
東山 魁夷(1908−1999)
   ひがしやま かいい
横浜に生まれ3歳で神戸に転居 東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業、多くの絵画を描き 90歳で永眠、善光寺大本願花岡平霊園に眠る。

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