横浜中華街隣の山手地区は現在も住宅・文教地区として外国人居留地だった頃の面影を残している。山手本通り沿いにある西洋館現在7館が一般開放されていて3〜4時間程度で見学することができる。外人墓地や港の見える丘公園も同時にめぐることができる。
グラフ18番館
大正末期の関東大震災以後に建てられた外国人住宅で 戦後はカトリック教会の司祭館として平成3年まで使われていた。現在は横浜家具を復元し 当時の外国人の暮らしぶりを再現している。
外交官の家
明治政府の外交官 内田定槌氏の邸宅として渋谷に建てられていた家屋を横浜に移築した。設計者はアメリカ人のM・J・ガーディナーで華やかな特徴のアメリカン・ヴィクトリアン様式を基本としている。家紋をステンドグラスにしてあり 凝った家作りであったかが伺える。
テニス発祥記念館
 |
 |
 |
明治9年 山手公園で日本最初のローンテニスが行われて 日本初のテニスクラブが誕生した。日本初の洋式公園である山手公園とテニス発祥120年を記念して記念館が建てられた。当時のテニスウェアーは動きやすいようにスカートをつりあげられるようになっていた。 |
ベーリック・ホール
イギリス人貿易商B・Rべリック邸宅として アメリカ人J・Hモーガン氏が設計し、昭和5年に建てられた。600坪の敷地に建ち 西洋館の中では最大規模の館だ。基調はスパニッシュ様式で 外観は玄関の三連アーチやイスラム様式のクワットレフォイルと呼ばれる小窓など多彩な装飾がされている。子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復元されている。
エリスマン邸
 |
 |
大きな絹糸貿易商シーベルヘグナー商会支配人エリスマン氏の邸宅で 現代建築の父と呼ばれたA・レーモンドの設計で大正15年に建てられた。家具類も同じくA・レーモンド氏によって作られた。和館と2館がつながった木造2階建てで 和館1階には 使用人部屋、台所などがあり、2階は令嬢の部屋になっていた。洋館部は居住及び来客用の部屋があった。 |
山手234番館
 |
 |
 |
昭和2年頃 外国人向けの共同住宅(アパートメント)として建てられた。関東大震災によって横浜を離れた外国人に戻ってきてもらうために復興事業として朝香吉蔵によって設計された。
玄関をはさんで4軒が左右対称、上下に配置されており 3LDKの部屋は合理的でコンパクトにまとめられ 昭和50年代まで使用されていた。 |
山手11番館
ベーリックホールを設計したJ・Hモーガンによって 大正15年アメリカ人ラフィン氏の住居として建てられた。スパニッシュスタイルの洋館で 玄関前の三連のアーチは同じだが天井がなくパーゴラになっていて異なる印象を与える。ワシン坂通りに面した芝生を前庭にしローズガーデンを見下ろしている。
横浜市イギリス館
昭和12年(1937年)英国総領事公邸として建設された鉄筋コンクリート2階建ての建物。1階はサンポーチ、客間、食堂と続き広々としたテラスから芝生の庭につながっている。
山手十番館(昼食)
 |
 |
 |
ランチ
キッシュセット 1050円
ランチセット
珈琲 350円
好きなケーキ 時価
クリームチーズケーキ
※珈琲に砂糖、ミルクと
ウィンナ珈琲用の泡立て
生クリームがついていた |
|